2015年11月14日(11:19)
江戸深川と江戸城の距離感
今日は休みの土曜日ですが、ちょっと仕事をしています。
週末なので、仕事から離れて、すこーしだけ江戸時代に思いをはせてみたいと思います。
先週の東京出張で、東京の東部、隅田川沿いのホテルに泊まりました。ほとんど土地勘がないので、少しうろついてみました。
隅田川を渡ると、東京・深川と呼ばれる新地。ここは江戸時代の埋め立て地ですね。
地形的には、隅田川の河口にできた人工地盤です。
このあたりは、ボクの好きな小説家・亡き藤沢周平の小説によく出てくるエリアでもあり、興味もありました。
そっちの興味は皆さんがついてこれない可能性があるので、目を西に向けて、江戸城を目指してみたいと思います。
江戸・深川には大名の下屋敷がたくさんあり、中でも有名なのは寛政の改革を成し遂げた徳川吉宗の孫、松平定信公のお屋敷。
定信公のような幕府要職の人たちは、ウィークデイは江戸城のすぐそばに住んでいて、
何かの折には下屋敷に下り、のんびりしたそう。
ところで、この下屋敷から江戸城までどのくらいの距離があると思いますか。
およそ4kmあります。
4kmの距離感とは、歩けば40分ちょっと。近いとは言いがたいけど、遠くはないという微妙な距離です。
ボクは朝、ホテルから皇居までジョギングしてみました。まあまあの距離感です。
ちなみに現在の道路は、昔の水路であったケースが多いようです。なので、道筋は当時とさほど変わりないといえそう。
定信公はこの距離をかごに乗って移動したのでしょう。徒歩より少し遅い速度でしょうから、1時間程度かかったのではないでしょうか。
「えーっずいぶんかかるなぁ」とボクは思ったのですが、当時の人の感覚としてはそう遠くもなかったのかもしれません。
藤沢周平の小説の中では、深川から神田、そして江戸城の西・新宿へと歩いて移動する様子が描写されています。
はや歩きで1時間半から2時間でしょうか。
昔の人は健脚です。江戸市内の移動手段は徒歩しかないわけで、普通に山手線の外側を半周回っていたわけです。
ちなみに山手線1周は38km弱だそう。
もうひとつヒマ人話を。
深川は埋め立て地ですから標高が低い。
大潮や津波で水をかぶったことはなかったのかなぁ、という疑問もありました。
大火はあったけど、それはなかったそうです。
〈裏店を再現した建物。軒に手が届く低さにも驚き〉
日本の木造住宅の3大欠点の1つ、火に弱い。
このころの賃貸住宅(長屋または裏店)には炊事の設備がなかったそうです。火事を出すと困るから。
すなわち、毎日外食または店屋物です!!
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