2014年08月12日(19:28)

「集団的自衛権」について整理してみた

2014_0812heli.jpg当社は明日からお盆休みに入ります。親の世代が高齢になり、今年は新盆の伯母もおります。
休み前ですので、少しだけお盆と最近の政治の話題に関係することを書いてみました。

政府が集団的自衛権の解釈変更を行ってから初めての原爆記念日を迎え、そしてまもなく69回目の終戦記念日がやってきます。

このところ安倍政権に「へいこら」ばかりしていたマスコミが、「集団的自衛権」の行使容認について、一部を残して「暴挙だ」と批判に回りました。対応に迫られた安倍首相は、説明の過程で「戦争をするためではない」などと言質を取られ、それでも批判がやまず、きっと悔しい気持ちでしょう。
しかしその安倍首相も大いに問題があるとボクは思います。そもそも「積極的平和主義」という造語に近い言葉を、国防というきわめて重要な政策を説明するために使うべきではありません。言葉とは相互理解のためのツールであり、例えば、発言者のAさんは「真っ赤」の意味で言っているのに、これを聞いたBさんは「あ、オレンジ色なんだ」と思い、いっしょに聞いていたCさんは「ムラサキ色かしら」と思うような意味がハッキリしない言葉が「積極的平和主義」です。

日本のマスコミの多数と、声を上げない多くの国民がなぜこれほどまでに憲法9条・戦争放棄に固執するのか。もちろん、二度と悲惨な戦争を起こしてはならない、という気持ちが強くきざまれているからだと思いますが、ボクは、第二次世界大戦時の「軍部の暴走」が、今度戦争をするとまた起きるのではないかと心配で不安でならないのではないかと思います。(少なくてもボクはその一人です)
日本はもともと公権力の強い国です。日本のトップである総理大臣と閣僚は国民から選ばれてはいますが、「飾り」に近いことを国民は知っています。もし「公権力」が戦争を起こそうとすれば、国民を欺き、「飾り」をうまくコントロールしながら、国を戦争に導くのではないかと想像してしまう。

ボクは、安倍首相がやろうとしていることは日本の国際貢献の中でも最低限の責任分担であろうと思いますが、国民の不安を取り去るためには、公権力を国民がコントロールできるかたちで行う仕組みを作るのが先だと思います。その流れの中でみると、今回、安倍政権が窮地に陥った原因をつくったのは、政府が国民に知らせたくない情報は事実上未来永劫公開しないことを法律にした「特定秘密保護法」だったと思います。
この法律ができたことで、「ああ、安倍さんはわたしたちに真実を伝えずに戦争に導こうとしているんだな」と多くの国民が思ったのではないでしょうか。

追い打ちをかけるように、広島、長崎平和祈念式でのコピペ朗読。民間人の戦没者慰霊に関心がない首相なんだと、国民には映っていますよ。

ボクの考えでは、安倍首相がやるべきことはハッキリしています。軍隊派遣の決定などきわめて重要な政策決定の情報を30年後にすべて公開する法律を作ること。すなわち、政治家の仕事を歴史研究家に評価してもらう仕組みを作ること。その上で、解釈変更ではなく、憲法改正ですね。

憲法にはこう書かれています。

第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


憲法制定当時といまでは、国際情勢がずいぶん変わったことは間違いないのですから、この条文を改正すべきなのです。

それにしても、自衛権とか交戦権とか、難しいです。ちなみに、いつの世も、戦争は「自衛のため」に火ぶたを切るのです。
集団的自衛権は難しい問題ですが、シンプルに考えて、紛争をなくすための派兵(例えば国連平和維持軍)と、紛争解決のための出兵は違う、と整理してみてはどうでしょう。われわれはどっちの派兵・出兵を恐れているのか、終戦の日を前に考えてみてください。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。

カテゴリ:辛口 |

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PROFILE

編集長 白井 康永

家づくりを変えたいという野望を持ち、北海道住宅新聞、札幌良い住宅jp を中心に、少子化の激流のなかでわれわれが日本を導きます.時にひょうひょうと(笑).
北海道・札幌市生まれ54歳。血液型O型.新卒1年、専門学校に通う娘たち、高校を卒業した息子あり. 休日にやってること:のろまジョギングとテレマークスキー.

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