2012年09月28日(18:17)
瀬尾君のこと
大学の1期後輩、瀬尾鉄二君が亡くなってはや1週間が過ぎました。
10年前に難病を発病し、病と闘いながらも昨年夏まで、神奈川県の県政事務所で働いていました。
症状が悪化し、それでも最後まで生きる意志を持ち続けていたそうです。
瀬尾君は県立多摩高校を卒業し、一浪して明治大学に入ってきました。とても優秀で、ちょっと融通の利かないところもあり、目上の者を自然にたてることができる、愛すべき男でした。
同じ川崎市に住んでいたこともあり、よくいっしょに酒を飲みました。悩みも聞きましたし、好きな子に告白すべきかどうかも相談に乗りました。
就職先に神奈川県庁を選んだのは、彼にとってよい選択だと思いました。優秀でしたから、心配はありませんでした。
Uターンで札幌に帰るとき、瀬尾君は片付けを手伝いに来てくれました。片付けよりも酒を飲んで、翌朝フラフラになって帰っていったことを覚えています。
小生の結婚式にも札幌まで来てくれました。いつか、瀬尾君の結婚式にも出席するつもりでしたが、それはかないませんでした。
野辺送りは、教会から人があふれていたそうです。瀬尾は、みんなに送られて旅立ちました。
瀬尾君はいまも変わらずボクの中に生きています。
徳江さん、松田さん、大ちゃん、ありがとう。
コメント
はじめまして。2年前の記事にコメントお許し下さい。
私、瀬尾君と高校3年時の同級生です。現在、彼と同じ病に罹患しています。友人がこの投稿を教えてくれました。彼はもちろん私の中に行き続けていますし、私は彼の分まで生きようと固く決意しています。
藤元健二(2014-07-19T22:44)
こうしてブログを通じてコミュニケーションがとれるのも、瀬尾のおかげですね。
そうですか。たいへんな病気と聞いています。
ボクらは生き続けなければならないし、がんばっていればいいこともある。
ボクたちの年代も老いの入口です。今日、出張の移動中に認知症の本を読んでいたら、若年性の認知症の話が出てきました。病を受け入れながら、尊厳を持って生き続けるために、介護者側も患者を支えながら接することが、自分自身を磨くことにつながる、といったことが書かれていました。
気が向いたらまた来てください。
白井康永(2014-07-19T23:09)