2011年01月11日(18:35)
それにしてもローマ人はすごい02
安土城天主(宮上茂隆復元案)を模した伊勢・安土桃山文化村にある天守風建物 ウィキペディアから。
(前回からの続きでございます。)
そのローマ帝国を共和制から帝政に改めたのが、「ローマ史上唯一の創造的天才」とされる。ジュリアスシーザーです。
小生はときどきジュリアス・シーザーという2000年前のローマ人と織田信長という傑人を頭の中で比べてみます。小生の目からするとよく似ているのです。
先日たまたま、信長が築城したとされる安土城にこめられた思いに迫るテレビを見ました。天守閣の最上部には極楽や浄土の世界が描かれていた?(正確に覚えてなく、申し訳ございません)
また信長は神になろうとしたとか、派手好みだった・新しもの好き、変人とかいわれています。
(きっと皆さんも何となくそんなイメージではないでしょうか)
しかし、信長という人物は、神も仏もいないことを知っていて、それらは人の心の中に宿っていること、人は新しいものが好きなことを利用して、あたかも自分がそうであるかのように振る舞ったのではないか?
ローマ人の物語を読むうちに、そう思うようになりました。
つまり、信長は人の心にある良心とか邪心とか虚栄心を自らが演じ、お城というかたちあるものにした。本人は無信心でものへのこだわりもない。もちろん地獄も極楽も信長の中にはないのです。
あったのは日本統一と国力の充実のために、何をすべきかという冷徹な思考と実践力。
明智光秀に暗殺される点も、シーザーとよく似ています(シーザーは「ブルータス、おまえもか」で暗殺されます)。自分のまわりには兵力を最低限しかおかず、主力はすべて前線に配置する。前線の内側は基本的に平和なので兵力はいらないという発想です。
(本能寺の変を知った豊臣秀吉が毛利と和平を結んで中国大返しをするわけですが、この時秀吉はまさに前線の総司令官だったわけです)
ローマではシーザー以降にその理念を引き継いだ帝政が確立されたのに比べ、日本は信長以降、その理念を引き継ぐ後継者がいませんでした。日本に出現したのは、徳川家康というその後現代までを決定づけるほど強力な内向き統治力を持った支配者でした。
家康も信長同様に冷徹な無神論者だったと思いますが、成長よりは安定を求めるタイプだったのかもしれません。
この点が現代日本人にまで通じる、「日本人らしさ」の本家でしょうか。
でもボクらは今、信長型、シーザー型の政治家が出現することを待っている気がします。そこが果てしないミスマッチだったりして。
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