2009年11月07日(12:19)

暖かな鶴岡の11月

鶴岡・内川の河畔です。ぽかぽかと暖かく、ぶらり歩きには最高の日和でした。
藤沢周平の小説・そのロケーションと登場人物を追って海坂藩(鶴岡市)を歩いてみたのですが、ここは新しいまち・建物と古いまち・建物が渾然として街並みをつくっています。こういうまちはごく珍しいのではないでしょうか。


明治維新(戊辰戦争)では賊軍になるのですが、無血開城。太平洋戦争でもあまり戦火にやられなかったようです。お城は明治維新後に解体され跡形もないのですが、五間川(内川)をはさんでお城側も外側も、商家や特に倉がよく残っています。
道路も比較的再開発されておらず、細い路地や旗竿などで屋根が重なる独特の街並みをつくっています。
いうまでもなく、北海道・札幌にはこういった和風の歴史がありません。しかし、開拓史が置かれてからすでに140年近くがたっています。記念館的な建物はあっても、そういった1世紀以上の歴史の積み重ねを感じさせる街並みは、実はどこにもありません。これから徐々に作り上げていくとして、それはいったいどのようなまちになるでしょうか。
そんなことが頭をよぎりました。


それにしても穏やかな1日です。

カテゴリ:日記 |

コメント

先日は、全国健康住宅サミット山形県庄内大会の分科会
パネラー参加、ご苦労様でした。
そしてありがとうございました。

知っていますか?むかしむかし、庄内藩士が札幌に桑畑の
開墾に大勢出向き、見事荒野を桑畑に開墾。褒美に土地を
分け与えるといわれたのにそれを譲り受けず、そのまま
庄内に戻り『なんの欲もなく帰られて・・・』と語り草に
なったとのこと。札幌市内に開墾の石碑があるはずです。
そんな関係で鶴岡の朝晹第一小学校は札幌の小学校と
姉妹校になっていて、ジャガイモと庄内柿をお互い現在でも
贈り合っているとの事。
繋がっていたんですよ。すごいですね。

もの好き(2009-12-05T11:48)

それは知りませんでした。
そこは桑園と呼ばれる一帯で、札幌駅の西となりに広がります。
小生の先祖は会津でして、明治維新前に逃げ延びた組だそうです。奥羽越列藩同盟のつながりも・・・。
ボクは会津も好きですが、鶴岡のほうがカラダに合う気がします。

まるへん(2009-12-05T12:52)

コメント

PROFILE

編集長 白井 康永

家づくりを変えたいという野望を持ち、北海道住宅新聞、札幌良い住宅jp を中心に、少子化の激流のなかでわれわれが日本を導きます.時にひょうひょうと(笑).
北海道・札幌市生まれ54歳。血液型O型.新卒1年、専門学校に通う娘たち、高校を卒業した息子あり. 休日にやってること:のろまジョギングとテレマークスキー.

月別アーカイブ