2011年3月11日の東日本大震災で床上浸水し、80歳を過ぎてそこに暮らしていた所有者が解体しようとしていた築200年以上の住宅を再生、「清航館」と名づけてレンタルスペースとし、地域復興の足がかりにしようという取り組みが始まっている。
福島県南部の太平洋岸に面したいわき市中之作(なかのさく)地区。江戸時代から続く歴史ある港だが、4㎞ほど南には小名浜(おなはま)港があり、こぢんまりした中之作は、古き時代の味わいを残していた。気候は温暖、5地域(旧Ⅳ地域)区分となる。
震災による津波は中之作も襲った。海岸沿いの住宅地は一段高い場所に位置しており、5mを超す津波を受けて床上50㎝程度まで浸水したものの、幸いにして建物構造には大きな被害がなかった。ただ、室内は建具が散乱し、津波の恐ろしさを物語っていた。
震災後、高齢化が進む中之作地区では、旧家を所有している高齢者たちが建物の解体をはじめた。解体に対する補助金が出たこともあるが、背景には進学や就職で家を出て行った跡継ぎ世代が戻ってこないことが原因だった。
中之作地区では、震災・津波は解体のきっかけに過ぎず、家を壊す本当の理由は、そこに住むべき住民の世代交代がうまくいかないことだった。
冬も暖かい古民家に
いわき市内で設計事務所を営む豊田善幸さんは、震災前に趣味の自転車でよく中之作地区を通り、また「清航館」の改築相談も受けていた。震災後、土地建物を所有者から譲り受け、再生工事をスタートした。
建てたのは、江戸時代の船主で廻船問屋も営んでいた豪商で、築200年以上と想定されている。木造2階建てで延床は70坪。低く構えた2階からは中之作港と太平洋を一望することができる。
豊田さんの計画は、「清航館」を調理場つきのレンタルスペースとし、地域の会合などに使ってもらうほか、落語会などのイベント、食事付きのワークショップなど地域活性化の核になる施設として運営すること。
そのためにも、『冬は寒くて行きたくない』古民家ではなく、断熱・気密にしっかりこだわった暖かい民家にしたいと考えた。
2間グリッドの伝統工法
建物構造はとてもシンプルで、8寸(24㎝)角の柱が2間(3.6m)間隔に並び、その柱に梁の高さ30㎝を超す鴨居(かもい)が差し込まれて留まっている。石の基礎に柱が乗ったこの構造で、震度6弱の揺れと津波によく耐えた。
200年の間には何度も改修が行われており、オリジナルがどうだったかをつかむことはかなり難しい。また、断熱・気密を行うために当然のことながら窓や壁、小屋組にはこれまでにない改修を加えることになる。ただ、デザインしすぎず、これまでの200年がそうだったように、ずっとこの地にあったような意匠にしたいと豊田さん。このため開口部については木製にこだわった。
2012年に土塗り壁の施工を参加型イベントなどで終え、地震で崩れた瓦の除去と断熱のための新しい小屋組を行って瓦を載せ直し、今年1月末には外部足場がいったんはずれた。その後木製サッシを取り付け、外部工事がほぼ終了。訪問時は床断熱工事をほぼ終え、隣接して蔵があった東側の解体が行われていた。
断熱は屋根が既存の小屋組の上に200㎜、壁が土塗り壁の外側に100㎜、床は床下に100㎜。いずれもグラスウールを使用。
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改修工事の資金は、有志からの募金や企業などの補助金で捻出。運営は、任意団体で立ち上げ、今年2月にNPO法人に認可された中之作プロジェクトが行っている。代表の豊田さんは「予算の関係で、2階の工事や厨房などは間に合わないが、来年3月にはとりあえず完成の予定だ。ここが最初にきれいになり、にぎわいがよみがえって震災復興の第一歩になれば」と語っている。
同プロジェクトの問い合わせや募金は事務局へ(tel0246-38-4848)。
[写真 上から]
・港に面した「清航館」。外観はきれいにお化粧直しが済んでいる
・室内の一部。正面床の間の脇に2階へ上る隠し階段がある。手前は氏神様をまつる神棚、8寸柱と鴨居も見える
・2階の床の間は螺鈿(らでん)貼りに加え、漆加工の模様が浮き上がる。隠し階段からも2階は特別な空間だったのではないかと想像される
・施工を終えた塗り壁の前に並ぶ、中之作プロジェクトを支える豊田さん(中央)、公私ともに豊田さんを支える千晴さん(左)、NPOの事務をするとみーさん(右)